神ながらの道の根幹をなすものは、鎮魂(みたまふり)であると 申し上げました。 それは、鎮魂なくして、神である我を生きることは能わず、八百万の神の 一柱の神として、この宇宙生成化育、さらなる岩戸開きに寄与していくことが できないからです。 「みたまふり」の「ふり」は「振り」であり「降り」であり、 まさしく己の振動数が上がり天晴れと千早振り、天地の振るえが降り 注がれて、澄みきりに清まっていくことなのです。 それは、気掛かりによってあちこちに遊離拡散していた魂が、 内なる宇宙・腹(高天原)、中府(なかご)に鎮まり納まることでもあります。 逆に言えば、禊祓いの極まった姿が鎮魂であり、遊離拡散していた魂が、 すべて己の中に納まっていくゆえに、本来の生命の振動数を取り戻して いくことができるのです。
中略
神ながらな道では、私たちの魂を「火の気(ほのけ)と呼ぶことがありますが、 この魂はもともと陽の性質であるゆえに、フワフワと浮かれがちです。 それが気掛かりと相まって、魂がこの身体に留まることは困難ともいえます。 古代の人々は、このことをよく心得ていて、鎮魂によって、魂と身体の 完全密合一致をはかり、積極的に神である我を生きていこうとしてきました。 この鎮魂ができているからこそ、善とか悪とか、正しいとか間違っているとか ではなく、生命の本来の在り様にとって快なのか不快なのか、 恥ずかしいか恥ずかしくないのかを、きちんと感じ取れることもできるのです。 「自分の胸に聞いてみなさい」も、鎮魂あってのことなのです。古代の人々は、 鎮魂をすることで、生きるうえでの選択、判断を求めていたようです。 外側の誰かが書いた教えや決まり事に判断の基準をおくのではなく、 その時その場、適宜相応の神意をその都度、鎮魂して知ろうとしてきたのです。 鎮魂の究極の御姿が、現人神として天皇・スメラミコトですが、 古代においては公の人から名もなき庶民にいたるまで、 この鎮魂という概念が当たり前のごとく浸透していたようです。 中略 しかしながら今の私たちは、情報過多の中で埋もれ喘ぎ、 そしていつしか天地とも切り離され、古代の人々には想像もつかないくらいの 気掛かりの中で、我を見失っているともいえます。 時代が下がるにつれて、人々の気掛かりが暗雲のようにこの地球を覆い、 その集合意識によって、高天原からの光も遮断され、日(霊)止(と)の心の 深奥の鏡も曇りに曇って、火の光も映らなくなるであろう・・・ そのように先人たちは予想したのかもしれません。
本文より

気掛かりばかりの現代人。ゆえに魂があっちこっちに分散して しまって、ついつい損得快不快の低俗な判断基準の元、 いつも「氣」が枯れ、生気のない生き方で一生を終えてしまう。これは なんともったいないことでしょうか! 最近、斎藤一人さんも魂の振動数を上げることの重要性を お話しされているようですが、この本を読むことで、振動数の大切さ、 奥深さが、よーくわかります。 私たちが住む日の本の国に、はじからあった、神人ひとつであるという、 不変の真理を、いまこの時代に私たちが活用できるように身につけなければならないだろうと、私なんかは強く感じました。 天皇陛下のその代々つながって来た大切な祈りや御働きも 詳しく書かれていて、涙がでました。 魂の振動数を上げるためにもぜひご一読ください。 西洋の考え方がひっくり返って、東洋、特に日本人こそが、 世界を進化させるためにリードしていく覚悟がそろそろ必要なようです。 そのためには、私たち庶民の一日も早い覚醒が必要かと思うのです。 さあ!みんな!!日本に恋せよ!!!
清水克衛