1 始めあるものにオワリあり(あべこべの法則)
2 オモテあればウラあり
3 この世の一物として同一なるものなし
4 オモテ大ならばウラも大なり
5 変化(運動、調和、均衡、崩壊、死生)はすべて宇宙の二大対立エネルギーの結び、またはその分化である。
6 絶対、無限、永遠、唯一なるモノは二つの相反する陰陽を生む
7 すべての変化するモノは絶対、変化しないモノの産物である

われわれは無限の自由を

われわれは無限の自由をもっているから何をしてもできるし、何をしてもいい。われわれは絶対の正義の子であるから何をしても許されるし、罰をうけるコトはない。 われわれは無限の愛をもつから、この世に不快な、悲しい、キライナ、イヤナ、憎むべきモノを知らない。 これが人間の正体です。 だから君がモシそんな自由をもっていないなら、君はマダ人間ではないのだ。 だからモシ君が法に問われるなら、君はマダ人間ではないのだ。 法なんか破っても、そのために万人に愛される人でなくてはならない。イエスも仏陀も、伝教も、マハーヴィラも、ルーテルも、ルソーもみんな法を破った人だ。 マダ人間でない人間というのは実は最高判断力がクモリをもっている人間というコトである。そのクモリは教育という手で造られたモノだ。 つまり、本能を解放するコト、生命の大本である本能を、教育で殺さずに、本能を光らせ、クモリを取り去る教育が必要である。 宇宙の秩序という大法を、日月のごとく明らかなモノを確認させるコトのできないモノは人を裁いたり、罰したり殺したりするコトは許されない。ソンナコトをしたらキット自らも裁かれ、あるいは殺される。モット恐ろしい罰は「生ける屍」としてこの世で、地獄の生活をするコトだ。死んで地獄へゆく要のない人間になるコトだ。 中略 われわれは全力をつくして無限の自由をもつモノであることを証明し、生命こそ永遠なる宇宙の秩序の一表現であるコトを証明しよう。なぜならわれわれが自己を解放し、真の自由、制限なき自由人である時にだけ、われわれは社会を改造するコトもできるし、何でもできるのであるから。 荒れ馬をのりこなした方が、大人しい駿馬で走るより早いだろう。最大の困苦をのりこえた方が、最小の困難をのりこえたより楽しいだろう。おろかな、ミニクイ、乱暴な、不正な、不倫な人間を、カシコイ、美しい、大人しくて、勇ましい、正しい人間にするコトこそ、立派な社会を造る最上の方法であろう。悪人をミナ殺しにしたら、よい社会が来ると思うのは、バイキンをミナ殺しにしたり、家をバイキンもカもハイも入らないようにしたり、身をヨードフォルムや、マスクや予防ワクチンで守り、ピストルや軽機関銃をもったり、することで安全になれると思ったりする愚かさと同一である。空の鳥、ジャングルの獣、河の中の魚、泥の中のバイキン、寸鉄もおびない美しい草花はそんな人間を笑っている!
本文より